医療機器開発とSDGs
~デザイン・アート思考を取り入れる~

2022/06/30
吉川 典子氏(よしかわ のりこ)
NPO法人 医工連携推進機構 客員研究員吉川 典子氏(よしかわ のりこ)

大阪大学大学院薬学研究科博士課程を修了後、(財)医療機器センター調査部(PMDA前身)などを経て、現在はNPO法人 医工連携推進機構 客員研究員として活動。また、京都芸術大学にて、医療のアート&デザインを学び、各地の産業支援組織のアドバイザーや新規医療技術向けコンサルティングも行う。

価値観の多様化が進むなか、医療業界においても多様なニーズが生まれており、医療機器においては、持続可能性という視点を取り入れるとともに、新しい価値観のもとで開発を行っていく必要があるといわれています。今回は、医療機器開発とSDGsの関係や、医療機器開発におけるデザイン思考とアート思考の必要性について、NPO法人 医工連携推進機構 客員研究員の吉川典子氏にお話を伺いました。

目次

  1. 医療機器開発のアドバイザーや研究員、アーティストなど幅広い活動
  2. 医療機器開発とSDGsの関係について
  3. 医療機器開発にデザイン思考とアート思考を取り入れる
  4. 医療機器開発にアート思考を取り入れるための「対話型鑑賞」
  5. 今後、新しく医療機器開発を行う方へのメッセージ
  6. 編集後記

医療機器開発のアドバイザーや研究員、アーティストなど幅広い活動

私は、大学では薬学部、大学院では薬学研究科で生物学的人工臓器や細胞組織工学等を専門に学び、製薬会社に入り開発企画に携わった後、行政薬剤師になりました。その後、医療機器の開発振興やライフサイエンス、トランスレーショナルリサーチ(※1)などの団体を経て、現在はNPO法人 医工連携推進機構で客員研究員として活動しています。

※1 大学等の研究成果を次世代の革新的な医薬品や医療機器等の開発につなげることを目的として行う基礎研究から臨床現場への「橋渡し研究」のこと。

現在は医工連携コーディネーター(※2)としての仕事がメインですが、アドバイザーとして企業向けのコンサルティングや、病院の人材育成などのサポートなども行っており、最近では再生医療に関するバイオマテリアルや、デジタル治療に関係するアプリなども手がけています。薬剤師として医療機関ともつながりが深かったという点で、これらの活動においては現場目線を大切にしながらサポートすることを意識しています。

※2 医療機器開発に関連する医療機関や大学研究などにおけるシーズやニーズ、技術を中小企業やベンチャー企業と結びつけ、マッチングを行う役割を担う。

また、プロダクトデザインの勉強をするために京都造形芸術大学で学び、現在はその経験を活かしてデザインのコーディネーターとアーティストという仕事もしています。このように幅広い分野に携わってきましたが、どの仕事もそれぞれつながりがあると感じています。

医療機器開発とSDGsの関係について

医療機器においては持続可能性を考えることが大切だと思っています。この医療機器開発は、SDGsの目標3の「すべての人に健康と福祉を」に該当します。

特に重要なキーワードとして「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(Universal Health Coverage(以下、UHC))」があります。

これは多様な人々に医療が届くように、ユニバーサルな視点を持つという考え方で、これを広げていくことはとても大切だと考えています。今までは、特に医療関連製品は高付加価値の領域であり、多額の費用をかけて開発された製品は高機能である、人々の役に立つという考え方もありました。しかし、それでは本当にその医療を必要とする人々にとって手の届かない医療になり得てしまいます。それで本当に良いのか、という倫理的な考え方が大切なのです。

ではUHCを大切にするとはどういうことでしょうか。これは「価格を下げる」と考えがちですが、それよりも「効率を良くする」「リサイクルを取り入れる」「作り方を見直す」といった考え方が重要です。例えば、開発コストの範囲内で効率の良い動きをすることで人件費を下げる、二重包装になっている医療製品の包装の外側の素材をリサイクルする、作り方を見直すことで今まで1つ10万円していたものが、5千円になるといったようなことがあります。もちろん、5千円の製品が安心して使えるかという意見もあるかと思いますが、高価格のものほど良いという考え方ではなく、本当に価値のあるものを大切にする考え方のほうが大事だと考えています。

私は、以前公務員として勤務していた時代に、日本の保健所のようなものを発展途上国に展開するための研究をしていましたが、医療製品が高騰することで、それを手に入れることができない人がいることを目の当たりにしました。このような経験から、このUHCの視点を忘れないようにしています。

またその他のSDGsの視点として、海洋汚染問題へのアプローチ等があります。医療機器を廃棄する際、環境破壊に対する行動変容を促すために、「廃棄って何だろう?」とアートの視点からも語りかけ、人々を動かしていくことも大切ではないかと考えています。

医療機器開発にデザイン思考とアート思考を取り入れる

医療機器開発には、デザイン思考とアート思考の両方を用いることを推奨しています。

デザイン思考は、まず課題やニーズがあり、そこから開発に取り組む際に使用するものです。課題やニーズから何かを生み出す際には、その向こう側にあるものが分かってないと良い開発ができません。

そこへデザイン思考を用いて「なぜそのようなニーズが出てきたのか」「それをどう満たしたらいいのか」ということを考えることによって、医療機器のコンセプト発案を行うことができます。

一方で、アート思考は「0(ゼロ)から1を生み出す」ということです。わかりやすく言えば、子どもたちに真っ白な紙とクレヨンを渡して、「さあ、自由に書いてごらん」と描いてもらうのと同じです。
何らかの課題やニーズがある場合は「1から始める」ことになりますが、アート思考の場合はそうではなく、「どうしてこのようにしているの?」など、素朴な疑問から始め、「これはこうしたらいいのではないか?」「こんなものがあったらいいのではないか?」と新しいアイデアを考えます。

例えば、ある患者さんがこれから通院するとします。そのとき、雨が降ってきて、傘をさすときに、「傘で何かできることはないだろうか?」と考えるのがアート思考です。例えば、傘の中に照明器具やディスプレイを入れるなど、これまでになかったようなことを考えます。

実際の医療機器開発の現場では、デザイン思考とアート思考の両方を使うときもあれば、片方だけのときもあります。アート思考は、まだ日本ではあまり取り入れられていませんが、これを取り入れていくことで、より良い開発につながると思います。

●アート思考を広めることの大切さ
私はデザイン思考と共にアート思考も広めていくことが大切だと思っています。実のところ、医療機器開発というカテゴリーにおいて、「今までになかったことをやる」という発想はあまり存在しません。どちらかといえば、「新しく開発する」というよりも「改良する」ことが多いです。既存の材料に新しい材料を少し入れて試してみるといったことが少なくないのです。しかし、それで十分に医療と私たちの暮らしが良くなるのだろうかと考えたときに、今までにあるものとだけ比較するだけで良いのだろうかと思います。
例えば、最近、電球がスピーカーになっていたり、何かメッセージを伝えられたりするなど、楽しいものが開発されています。このようなものがアート思考だと思っています。電球に今までになかった役割を与えるのです。そしてアート思考は、イノベーションにもつながり、今までの医療で叶えられなかったことを新しく叶えてくれる可能性があると思います。

もちろん医療製品ですので安全性や有効性、有用性など、求められる品質の確保は必要です。先述のSDGsの話にもつながりますが、継続して届けていけるような仕組み作りをすることも、アート思考とは別の要素として必要とされるのです。

医療機器開発にアート思考を取り入れるための「対話型鑑賞」

医療機器開発に携わる方に対して、アート思考を取り入れるためにアドバイスしていることは、「医療現場を観察する目を養うこと」です。私は、医療従事者でもあるので、現場における様々な主義やプロセスなどを多く見てきましたが、「思い込んでしまっている」ことがよくあります。

このアート思考を強化するためのトレーニングとしておすすめなのが、最近、美術館鑑賞の手法として取り上げられる「対話型鑑賞」です。ただアートを眺めるのではなく、他の人と対話をしながら視点を共有し、新しい理解や発見をすることで目を養う方法です。

ただ、医療現場において観察するとなると、忙しいこともあり、ハードルが高いかもしれません。その場合は、医工連携やニーズ観察など、一定の時間、医療従事者に話をしてもらう機会等を利用することでも、観察につながると思います。現場観察のときには、思い込みを捨てて「なぜここにボタンがついているの?」「これはどうしてこうなっているの?」などの素朴な疑問を大切にしてください。

●「共感」はアイデアが広がるベースとなる
良いアイデアを思いついたら、それに対してどのくらいの人が「共感」を得てくれるかを考える、リスクの有無や継続的な効果について真摯に分析することも大切です。

アイデアに共感した人が行動を起こすといった点からも、共感はとても重要です。近年、流行っているクラウドファンディングの在り方を見ているとよくわかるのですが、まずストーリーの紹介があり、それに共感した人が、何らかの協力を申し出るという流れが多いのです。何か新しいアイデアに対して共感してもらうことが、医療機器や医薬品などのサービスに対して理解者を増やす大切なポイントだと思います。それにより理解者を増やし、さらに良い領域に高めていくことができます。価値あるアイデアを広げていくためには、共感がベースに必要なのです。

今後、新しく医療機器開発を行う方へのメッセージ

ここ数年で社会の構造が大きく変わり、今後、さらに変化していくことが予想されます。そうしたなか、注意をしていただきたいのは、価値観のあり方が大きく変わってきているということです。

例えば、従来は「病院で看取りをする」ことが幸せとされてきましたが、今は「在宅でその人らしい最期を迎えるためには何ができるだろう」という考え方に変化してきています。また「自分の医療を自分で選ぶ」ことができる時代です。

そうした価値観の変化に応じて、医療の姿も変わってきていることに気付くことが大切です。

選ばれていくサービスになるためには、医療現場や日々の人々の暮らしなどを観察することを大切にしていただきたいと思っています。

そして「持続できる」という考え方を、必ず持って欲しいと思っています。特に災害やパンデミックなどが起きて供給が止まってしまうと、医療現場に悲しい思いをさせてしまうことになりますので、「持続できるとはどういうことか」「経営としてどうか」という視点を忘れずに、製品やサービスの開発をしていただきたいです。

編集後記

とても多様なご経歴をお持ちで、今回は、そのご経験すべてをふまえた深いお考えの一部を伺うことができました。医療機器開発といえば法規制などで厳しいイメージがありましたが、アート思考を柔軟に取り入れる、持続可能性や新しい価値観を取り入れるなど、本来の医療機器開発の本質に立ち戻るための視点は非常に重要であると感じました。またアート思考は医療の分野だけでなく、他のどの分野にも応用が効く重要な思考であると思いました。

ライター石原亜香利

多様なメディアでトレンドやビジネスパーソンに役立つテーマで執筆。特に専門家への取材記事を得意とする。BtoBビジネス向けの企業と顧客のコミュニケーションをつなぐライティングも行う。「読み手にわかりやすく伝える」ことがモットー。