女性職人から見た「漆」の魅力と持続可能性

2023/10/27
大内 麻紗子氏(おおうち まさこ)
漆作家大内 麻紗子氏(おおうち まさこ)

服飾の専門学校を卒業後、スポーツメーカーに入社し、企業デザイナーとなる。やがてものづくりを自分の手で行いたいと思うようになり、讃岐漆器の魅力に惹かれ、香川県漆芸研究所で漆芸の基礎を学ぶ。現在は女性職人グループ『凛九(りんく)』に所属し、漆作家として展示会や催事、ワークショップ開催やSNSなどを通じて、漆および漆芸について幅広く裾野を広げるための活動を行っている。

日本に古くから伝わる伝統工芸の一つ、「漆芸(しつげい)」。SDGsなどの世界的な動きから、漆そのものや伝統技術が今後も長きに亘って継承され、続けていくための活動が全国的に活発になっています。今回は漆作家の大内麻紗子氏に、漆や漆芸の持続可能性および活動内容についてお話をお伺いしました。

目次

  1. 企業デザイナーから漆作家の道へ
  2. 漆と漆芸の伝統継承における課題
  3. 漆の持続可能性のために必要なこと
  4. 伝統工芸としての「漆」の枠を超えた表現で、素材の可能性を広げたい
  5. 編集後記

企業デザイナーから漆作家の道へ

私は服飾の専門学校を卒業した後、スポーツメーカーで企業デザイナーになりました。しかし、せっかく作った商品もシーズンが終われば、売れ残ったものは店頭から外されます。機械的に大量生産され、流行のままに消費されていく製品のあり方に違和感を抱きました。まるで自分の作っているものは価値のないものだと言われているようで希望が持てなくなり、むなしさすら覚えるようになりました。

漆芸の作品「沈金勾玉鏡-tasokare-」

そこで廃棄される前提のものづくりではなく、長く愛されるものづくりをしていきたいと考えるようになり、新たな芸術の分野に向かうことを決意しました。

美術の勉強をするために大学に入ろうと通い始めた予備校で偶然出会ったのが、漆芸をしている先生でした。

当時、私は漆の知識がほとんどなく、「漆って、おわんに塗るものですよね」と答えたくらいでした。そのうち先生から漆のことを詳しく聞くにつれてどんどん興味が湧き、やがて讃岐漆器の魅力に惹かれ、香川県漆芸研究所で漆芸の基礎を学びました。

そこから漆作家として、作品を作り続けています。漆の一番の魅力は、さまざまな表現ができ、幅広い変化を楽しめるところだと思っています。木以外の素材にも塗ることができたり、樹液だけで平面物から立体物まで幅広く制作することができたり、顔料を混ぜた色漆でカラフルにデザインしたり、塗り重ねて厚みを持たせた漆を彫って造形したりと、その可能性は底知れず、後々まで残るものづくりに最適だと実感しています。

現在は、女性職人グループ『凛九』や三重県の伝統工芸に携わる職人グループ『常若(とこわか)』に所属し、展示会や百貨店の催事、ワークショップの開催をメインに活動しています。

漆芸の作品(左)「蒟醤小箱-凛-」(右)「沈金小箱-包-」

漆と漆芸の伝統継承における課題

漆芸は、漆の樹液を用いて漆の工芸品などをつくる伝統工芸です。

漆自体は縄文時代より数千年の歴史があり、塗料や接着用途として使われていました。仏教が伝来してから仏像や仏具、高価な調度品、刀のさやなどに塗られることで、徐々に工芸品の色を帯びてくるようになり、漆芸が生まれました。また漆には防虫効果や防腐効果があることから、着物を入れるつづらや重箱に漆を塗ることで生活に役立てられていました。

漆芸作品の制作中

漆で絵や文様を描き、漆が固まらないうちに金銀などの金属粉を蒔いて表面に付着させ装飾を行う「蒔絵(まきえ)」は漆芸の代表的な技術です。

長年受け継がれてきた漆芸ですが、近年は大きな課題に直面しています。

私が三重県の伊勢に移り住んできた当初、神職が履く漆塗りの靴「浅沓(あさぐつ)」の製作に関わる機会がありました。通常は分業で行いますが、私がお手伝いした浅沓職人の方は、1から10までのすべての工程をお一人で行っている全国唯一の方でした。

そこで私は、伝統工芸の課題を目の当たりにしました。浅沓は需要が少ないことから常に仕事があるわけではなく、また工数に見合った値段を付けられないこともあり、豊かな生活とはほど遠い状況にありました。そのため、その職人の方は息子さんに同じような苦しい思いをさせたくないという考えから、継承の意思はありませんでした。ただ、その方がある日、突然他界され、伝統工芸品として認定されていた伊勢の浅沓は、そこで途絶えてしまうこととなってしまいました。

この経験から、希少性があるにも関わらず、収入が必ずしも高くないという点は大きな課題であるように感じました。また弟子入りしたいという若者が現れても、職人との一対一の密なやりとりの中で相性や価値観の違いなどから断念してしまうことも実際には少なくありません。このような人間関係も伝統継承の課題の一つであると言えるのではないでしょうか。

漆の持続可能性のために必要なこと

漆は完全な天然樹脂であり、持続可能性を追求していきたい素材です。

プラスチックが普及してからは漆の需要が減ることになりましたが、近年は逆の流れが起きています。プラスチックは基本的に分解されないことから問題視されるようになった一方で、漆は天然素材で自然に返ることから見直されています。

そして科学技術の進歩によって、漆の新しい活用方法が見い出されており、再び、漆が日常に欠かせない素材になっていく可能性を感じています。

例えばある会社は、スギやヒノキを微粉砕した木粉と、漆を使用した粉状成形材料を開発しています。すでに食器や箸置き、ゲーム機などの素地として試用されています。

また韓国の漆を漢方食材として食する文化を踏まえ、食材としての見直しもされています。

近年文化庁は、文化財建造物に100%国産漆を使うことを推奨しているため、国産のウルシの木を植栽する動きが全国的に広がっています。ウルシは、樹液が採取できるようになるまでに10~15年かかりますが、これからウルシの木が徐々に増えていくと考えられます。

一方で、先にも述べた通り、漆職人をはじめ、道具を作る職人不足も深刻になっており、継承の課題はあります。

そこで今、私ができることは、裾野を広げる活動だと考えています。技術的な高みを継続して受け継ぐことは重要ですが、私は若者や新たな人々へと広く漆や漆芸の魅力を発信していくことで、技術の高さへの認知が高まるのと合わせて、需要も高まっていくのではないかと思っています。

漆を幅広い用途で活用していくことが未来につながります。そのため、まずは漆を知らない人にも興味を持ってもらえる機会をつくりたいと考えています。

伝統工芸としての「漆」の枠を超えた表現で、素材の可能性を広げたい

アートイベント「Independent Tokyo 2023」にて

先日は、伝統工芸の枠を超えて現代アートに挑戦し、ブースイベントに出展しました。そこに出展することで現代アートイベントは工芸展と比べると来場者層が異なり、漆の存在を知らない方が多いという現状を知ることができました。

また現代アートを扱う都内で人気のギャラリーオーナーでも、漆を使った現代アート作品をあまり知らない様子でした。これは漆を使った作品が、現代アートとしてあまり認知されていないということだと思います。

現在の漆を用いたアート作品は、「漆の作品だから」という理由で、国内外の見る側から「伝統工芸」という色眼鏡を通して見られているように思います。それでは、アートにはなりきれていないように感じるのです。

伝統工芸の境界線を越えて裾野を広げるためには、漆がもっと現代アートなどの別ジャンルで表現素材として使われ、認知されている状態になることが必要ではないかと思います。

このような現状を変えることで、漆に対する新しい見方や評価が生まれ、さらに漆という素材の可能性を広げることができるのではないかと考えています。

一方で、世界的に工芸がアートとして見直されてきているという時代の流れもあります。工芸自体がアートになるのか、工芸をアートに変化させるのか、どちらが先になるかはわかりませんが、現状、私は「漆作家」から、もっと広く捉えた「アーティスト」を目指しています。

今後は、凛九の活動を中心に、個人の工芸の枠を超えた漆の表現を通して裾野を広げる活動していきたいと思います。そして、奥深くまで漆の魅力と可能性が浸透していき、漆芸に関わる全ての人が活性化されはじめ、かつ伝統継承がされやすくなることで、伝統工芸の持続可能なサイクルができると信じています。

編集後記

漆芸と聞くと古くから伝わる重厚な世界をイメージしていましたが、大内様の現代アートのような作風や枠にとらわれない考え方を知り、新しい可能性と共に親しみを感じました。大内様の活動を通して、新しい角度から漆や漆芸が今後も広がっていくように思いました。

ライター石原亜香利

多様なメディアでトレンドやビジネスパーソンに役立つテーマで執筆。特に専門家への取材記事を得意とする。BtoBビジネス向けの企業と顧客のコミュニケーションをつなぐライティングも行う。「読み手にわかりやすく伝える」ことがモットー。