ドイツの馬専門医が語る現地の『予防医学』と『アニマルウェルフェア』の考え方

2026/03/30
佐藤 俊介氏(さとう しゅんすけ)
獣医師佐藤 俊介氏(さとう しゅんすけ)

静岡県出身。5歳から乗馬を始め、競技者として活動。2010年、障害馬術全日本ジュニア選手権ジュニアライダーで3位入賞。同年、国民体育大会「ゆめ半島千葉国体」少年リレー競技に静岡県代表として出場し優勝を果たす。2012年に麻布大学獣医学部獣医学科へ進学。学生時代から馬の獣医師を志し、臨床現場での経験を重ねる。2018年の卒業後、ドイツへ渡り、馬専門クリニックPferdklinik Mühlenにて研修。
その後、Pferdepraxis Delbrückにて馬専門獣医師として診療に携わる。現在は、馬の運動器疾患や予防医療を中心に診療を行うとともに、整体や鍼灸、オステオパシーなどを取り入れた統合的な治療にも注力。ドイツにおけるアニマルウェルフェアや予防医学の考え方を、日本に向けて発信する活動も行っている。2025年、日本初の大規模獣医学イベント「EQUILENGE(エクイレンジ)」を主催。国際馬術連盟(FEI)公認獣医師。

欧米を中心に世界中に広がりをみせている「アニマルウェルフェア」(動物福祉)。しかし日本では、情報も取り組みも多いとは言えません。では、実際に欧米ではどういった取り組みがされているのか。ドイツで馬専門の獣医師として活動する佐藤俊介先生に、ドイツでの馬獣医療の考え方や、日本との違いなどについてお話を伺いました。

目次

  1. 馬専門の獣医師を志したきっかけ
  2. 馬とともに生きるドイツの獣医療環境
  3. アニマルウェルフェアの要となる馬の予防医療
  4. 薬に頼りすぎない治療の選択肢
  5. アニマルウェルフェア先進国ドイツの倫理観
  6. 人と動物がともに持続可能であるために
  7. 編集後記

馬専門の獣医師を志したきっかけ

私が馬専門の獣医師となったきっかけには、「グランドスラム」という馬との出会いがあります。当時私は障害馬術競技をしており、そのパートナー馬だったのが「グランドスラム」です。グランドスラムと共に出場した「第34回全日本ジュニア障害馬術大会2010」では、ジュニアライダー部門で3位に入賞、同年、国民体育大会の静岡県代表となり「少年リレー競技」で優勝しました。グランドスラムは私をさまざまな場所に連れて行ってくれ、大きな経験をさせてくれたかけがえのない馬です。その一方で、グランドスラムは前肢の不調や生死に関わる疝痛(腹部の疾患)なども経験しました。その際、獣医師がつきっきりで治療にあたっていた姿は、今でも覚えています。このグランドスラムとの出会いと、馬への愛情が私を獣医師の道へ導いてくれました。

また、父が医師だったことも大きく影響しています。馬術競技を続けるなかで、馬の運動メカニズムや身体の状態を医学的に理解したいと思うようになったのです。獣医学部に入学したときには、馬を専門にしようと決めていて、卒業後すぐにドイツに渡りホースクリニックで研修しながら学びました。

グランドスラムと佐藤氏
(画像提供:佐藤氏)

現在は、獣医師が8名ほど勤務する馬専門のクリニックに勤めています。運動機能の治療や向上に強みのあるクリニックで、主に診療するのは競技用の馬です。馬の妊娠出産期にあたる3〜7月は特に忙しく、クリニック全体で1日に50〜60件の診療を行う日もあります。

馬とともに生きるドイツの獣医療環境

ドイツでは馬の獣医療は特別なものではなく、生活の一部として存在しています。特に私が暮らしているデールブリュックは世界的にも有数の馬産地であるため、馬の獣医療が身近です。この街はドイツ北西部にあるノルトライン=ヴェストファーレン州にあります。主に飼育されているのは競技用の馬ですが、ペットとして飼っている家庭も少なくありません。私の住むところから半径30キロメートル以内には、約600軒で馬がペットとして飼われています。私が診療に行くだけでその数なので、実際にはもっと多いでしょう。もともと馬は群れで生活する動物なので、1頭飼いにはあまり向いていません。ですので、2頭以上で飼育する家庭が多く、5頭飼っているというと「すごいな」という印象です。

往診している様子
(画像提供:佐藤氏)

ドイツで馬を購入する方法は、大きく分けて2通りあります。「ハンドラー」という馬を専門的に販売する人から買う方法と、インターネットで買う方法です。日本では考えられないことですが、ドイツでは馬をインターネットで購入できます。実は私もペットのポニーをインターネットで購入しました。馬を販売する際には「購入前検査」というものが推奨されています。法律で定められた健康チェックの項目があり、それを検査するのが私たち獣医師です。健康状態によっては、価格が下がる場合もあります。購入前検査を行わずに売買するケースもありますが、やはりトラブルが多くなるようです。私たちのクリニックでも、購入前検査の依頼を多くいただきます。こうした背景もあり、ドイツでは馬への獣医療が生活のなかにあると感じます。馬にちょっとでも異変を感じるとすぐにクリニックを受診するオーナーも多く、そうしたところは日本と異なる部分かもしれません。

ペットのポニーとお散歩の様子
(画像提供:佐藤氏)

アニマルウェルフェアの要となる馬の予防医療

左:馬に注射している様子 右:馬を診察している様子(画像提供:佐藤氏)

ドイツでアニマルウェルフェアが機能している背景には、治療よりも予防を重視する獣医療の考え方があります。まず行われるのは、ワクチン接種です。破傷風のワクチン接種は法律で定められています。インフルエンザやヘルペスウイルスのワクチンもありますが、競技用の馬のみ義務付けられています。

競技用の馬の場合、ケガの予防も重視されています。私の勤めるクリニックは、特に競技馬のトリートメントを重視しており、整体や鍼灸療法、鞍などの馬具のフィッティングも行います。また、パフォーマンスを上げるため、蹄に装着する蹄鉄のカスタマイズも力を入れていることの一つです。さらに、歯の手入れも欠かせません。草食動物である馬の歯は、本来草を食べることで削られ、長さが保たれます。しかし、人間に飼育されている馬の場合は、定期的に歯を削らなくてはならないのです。そのため、約半年ごとにクリニックで歯の手入れを行います。「虫歯」や「歯折」、歯に膿が溜まる「蓄膿」といった疾患も珍しくなく、放置すると全身の健康にも害を及ぼすため、歯の健康チェックは重要です。多くのオーナーは歯を削る処置のタイミングで血液検査などを希望し、馬の健康管理をしています。

予防医療の難しさは、獣医師に高度な知識や経験値が求められる点です。私たちは通常、病気やケガに対して治療を行いますが、予防医療は異変が起こる前に察知し、必要な手当を行わなければならないからです。日本の場合、馬の母数がドイツに比べて少ないため、予防医療への知識習得や経験が難しい環境にあるのかもしれません。

また、オーナーの馬の健康への知識も予防医療の推進には不可欠です。オーナーの予防意識が低いと、馬は必要なチェックが受けられません。ドイツでは、一般向けの馬の健康に関する情報も多く、知識を得るのが容易であることもアニマルウェルフェアにつながっているのでしょう。

予防医療やアニマルウェルフェアへの理解は、個人の意識だけでは限界があります。学ぶ場や、つながる場といった「仕組み」があって初めて、社会に根付いていきます。そこで私たちは、日本で馬の福祉に関する情報を広めるため、2025年からEQUILENGE (エクイレンジ)という活動を始めました。活動の目的は、馬に関する情報提供と、馬に関わる人たちが体系的に学んだり、交流したりできる機会の提供です。地域に馬に詳しい人が1人でもいれば、その人からどんどん情報は伝播していきます。この活動によって、馬の健康に関する知識を1人でも多くの人に伝え、そこから馬の予防医療や福祉の普及につなげていきたいと考えています。

薬に頼りすぎない治療の選択肢

治療の選択肢を広げることも、動物の福祉を守るうえで大事なことです。ドイツでは、薬以外の治療法が積極的に取り入れられています。たとえば、整体や鍼灸療法、漢方などです。もともとドイツ人は自然のものを好み、環境問題にも高い意識をもっています。薬を製造する過程で生じる環境汚染や、抗生物質による薬物耐性菌の問題への意識もあり、薬以外の治療を選択するオーナーが増えている印象です。もっとも、副作用のない薬はないので、馬への影響を少なくしたいという想いもあるでしょう。

私自身は、競技者として騎乗していた学生時代から、馬の運動機能改善に薬以外の治療法が必要だと感じていました。馬に乗っていて、いつもと何かが違うと感じる。けれど病気ではない。そうしたときに、その不調をとってあげられるのが整体や鍼灸療法だと思ったのです。そこでフロリダを本校とする大学のスペイン校に行き、中国医療を教える教授のもとで整体を修得。さらにドイツのThe Vluggen instituteにてオステオパシー(徒手療法を用いて自己回復力を活性化し、馬体の構造と機能の原理によって健康なバランスに調整する考え方)の研鑽を積みました。

馬に整体を施す様子
(画像提供:佐藤氏)

整体や鍼灸療法の問題は、術者の技術力の差が大きいことです。動物の整体や鍼灸療法に関するルールは国によって異なりますが、基本的に施術について資格は必要ありません。そのため、術者の技術力で効果にバラつきが出てしまうのです。過去に受けた施術で効果を得られず、整体や鍼灸療法全般に懐疑的な思いを抱いているオーナーもいらっしゃいます。一方、技術力が高い術者に出会ったことで、ハイパフォーマンスを示す馬も少なくありません。治療の選択肢を広げるには、術者の技術力向上と均質化が不可欠だと思います。

日本では、馬の数に対して薬以外の治療法を選択する割合が比較的高い印象です。特徴的なのは、日本独自の整体法があることですね。西欧のカイロプラクティックとは異なる治療法がいくつか確立されていて、興味深く思います。また、薬物治療についても柔軟な考え方をしているのが日本の良さです。私自身も投薬治療については、柔軟なスタンスをとっています。薬もそれ以外の治療にも適応があり、馬の状態に合わせて適切な選択を行うことが大切だと考えるからです。副作用を考えると、薬以外の選択肢があるならば、そちらを優先するという判断も一つでしょう。大事なのは、薬を使わないことにこだわり過ぎず、選択肢を多くもって治療にあたることだと思います。

馬の走り方を確認している様子
(画像提供:佐藤氏)

アニマルウェルフェア先進国ドイツの倫理観

アニマルウェルフェア大国のドイツに来て、日本と大きく異なると感じたのは、動物の終末期に対する倫理観です。日本の場合、病気やケガを患う犬や猫など動物に対して「最期まで看取る」という考え方があります。しかしドイツでは、治る見込みがないのであれば「早く苦しみから解放する」ということが重視されます。ドイツに来た当初、この倫理観の違いに驚きましたが、すぐに納得もできました。そうした選択は、アニマルウェルフェアについて長年議論され、考えられてきたドイツだからこそできることだとも思います。

馬の手術をしている様子
(画像提供:佐藤氏)

馬の最期については、私たち獣医師からオーナーへ提案することがほとんどですが、多くのオーナーは気持ちの整理がついています。私からいつもお願いすることは、「別れの悲しみよりも、今まで過ごした時間への感謝の気持ちで馬を見送ってほしい」ということです。それが馬にとっても、オーナーにとっても幸せなことだと思うからです。お別れのときが「いい時間」になってほしい。そのようにいつも願っています。

人と動物がともに持続可能であるために

アニマルウェルフェアを法的にも整備しているというのが、ドイツの特徴です。ドイツでは、動物の福祉に関する法律が細かく定められています。たとえば馬の場合、一定の品種の馬房は、3メートル四方以上でなければならなかったり、馬房に入る光量が決められていたり、1日あたりの屋外運動時間が定められていたりします。獣医局という機関によって取り締まりが行われ、法律に従っていない場合には厳しい改善命令が出されることもあるのです。

ドイツのアニマルウェルフェアへの考え方は、もちろん学校などでも教育されていますが、多くは親から子へ受け継がれているもののように思います。学校教育よりも子どもに影響を与えるのは親の思想です。長年動物の福祉について考えられてきた文化が、ドイツのアニマルウェルフェアの根底にあるのだと感じます。

厩舎内で馬のコンディションを確認する様子
(画像提供:佐藤氏)

EQUILENGEで佐藤氏が講義している様子(画像提供:佐藤氏)

日本の場合、馬に関わる人は多くありません。しかし少ないからこそ、職種を超えて一人ひとりが手をつなぎ合い、大きな相互作用を生むことができると思っています。EQUILENGE(エクイレンジ)では、そうした人たちが集まれる場所づくりもしています。2025年は兵庫県三木市でイベントを行いました。次は2027年に関東で実施したいと考えています。馬に関わる方々への教育的な講座や、専門分野を横断した議論ができる場など、多様なプログラムを検討中です。馬具やケア用品など、馬の健康管理に便利なグッズもご紹介します。持続可能な馬産業を作るには、馬自体も資金を生み出す仕組みが必要です。どこまで実現できるかはわかりませんが、ホースショーなども将来的にできればと構想しています。

アニマルウェルフェアへの一歩は、動物についてしっかり考えることです。まずは近くにいる動物を、よく見てあげてください。動物が出すサインにいち早く気づけるのは、毎日接している人だけです。何がどう違うのか具体的にわからなくても、毎日動物と向き合うことで異変を察知できるようになります。痛みや苦痛を訴えられない動物だからこそ、よく観察してあげることが大切です。そうした積み重ねが、アニマルウェルフェアにつながると思います。

編集後記

佐藤先生のお話から、ドイツの方々の動物との関わり方を感じました。ペットや競技のために飼われていても、「動物が本来の状態で生きられるように」ということが重視されているように思います。そこに「動物愛護」と「アニマルウェルフェア」の違いがあるのかもしれません。人視点の動物福祉から一歩進み、動物視点で考えられるようになることが大事なのだと思いました。

堀江恵美子

インタビュー記事の執筆を中心に活動。士業や医師、経営者のほか、インタビュー慣れしていない人物へのインタビューも得意とする。インタビュイーが言語化できていないことを汲み取り、読者に分かりやすく伝えることがポリシー。