オリンピック・ムーブメント史から考える
「パリ2024大会」の持続可能性の確保に
向けた取り組みと、今後のスポーツ界のあるべき姿
- 公益財団法人日本スポーツ協会 スポーツ科学研究室 研究員石塚 創也氏(いしづか そうや)
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北海道旭川市出身。中京大学体育学部卒業、中京大学大学院博士後期課程修了・博士(体育学)。愛知工業大学非常勤講師、名古屋経済大学非常勤講師などを経て現職。特定非営利活動法人日本オリンピック・アカデミー理事。専門領域は体育・スポーツ史、体育・スポーツ政策。主に国際オリンピック委員会(International Olympic Committee:IOC/以下、IOC)や開催地組織委員会、環境保護団体の公式史資料の分析により、スポーツにおける環境問題の歴史に関する研究に従事。またスポーツ統括団体の実務者として、研究プロジェクトのコーディネート、スポーツ指導者や団体関係者に向けた「スポーツと環境」に関する教材開発や研修会運営なども行う。
研究者情報はこちら:https://researchmap.jp/ishizuka-s
目次
オリンピック・ムーブメント史の研究を進める中、行き着いた環境問題
大学卒業後は大学院に進学して体育・スポーツ史の研究室に入り、1972年に札幌で開催された第11回オリンピック冬季競技大会(1972/札幌)(以下、札幌1972冬季大会)の招致活動に関する研究を始めました。研究を進める中で、「オリンピック」は大会の開催だけが目的ではなく、スポーツを通じて人間形成、相互理解、平和な社会を構築することを目指す「オリンピズム(Olympism)」という理念に基づき開催していることを知り、より一層、興味を持ちました。そのオリンピズムを普及する運動を「オリンピック・ムーブメント(Olympic Movement)」と呼びます。
(写真提供:公益財団法人日本スポーツ協会 石塚研究員)
資料を分析するうちに、札幌1972冬季大会のために建設された恵庭岳滑降競技場をめぐる環境問題に行き着きました。当時、IOCと開催地組織委員会、環境保護団体の間で自然保護をめぐる議論が行われた結果、大会後に競技場は撤去され、跡地に植林を行うことになりました。これはオリンピック・ムーブメントにおいて行われた自然保護のための具体的な方策の初期事例の一つと考えられます。
なぜ当時、このような事例が起きたのかを調べたところ、当時の開催地組織委員会の委員の中に北海道自然保護協会の会長がいたり、当時の北海道知事が同協会の名誉会長を兼務していたりと、大会を進める側にも自然を大切にするメンバーが含まれていたことから、意図的ではないにしても、結果的にさまざまな立場の意見を取り入れやすかったのではと推察しています。
大きなスポーツイベントの開催に伴い、競技場の建設や交通道路の整備などを進めるにあたって、環境を守りたい側との対立が生まれますが、それをどうほぐしていくかが問われます。つまり環境問題は、「人と環境」はもちろん、「人と人」との問題もあるのだなと感じ、関心を持つようになりました。
しかしながら、50年近く経過した現在においても、コースの跡に植林された部分とその周辺との調和はなされていません。この問題は、自然保護の難しさや複雑さはもちろん、それに加えて、多様なステークホルダーの立場を尊重し、意思決定をすることの大切さを教えてくれる事例であると考えています。
私は、研究を進める中で、スポーツの在り方を問い直すという点を大事にしています。人々が将来、永きにわたってスポーツに親しむことができる環境を作るべく、スポーツが社会問題を顕在化させ、解決するための媒体やツールになればと考えています。
歴代オリンピック大会における環境問題の発生とIOCの対応
オリンピック大会が、どのような経緯で持続可能性の確保に向けた取り組みを行うようになったのかをお話ししたいと思います。特に、新たなスキー場などの建設のために広大な森林を伐採しなければならなかった冬季大会に関連するものが多く挙げられます。
1960年代から1970年代にかけて、大会の招致活動および開催の機会に、環境保護団体などからの抗議運動が断続的に行われるようになっていきました。
1976年の冬季大会はオーストリアのインスブルックで開催されましたが、もともとはアメリカのデンバーで開催される予定でした。公的資金の投入の是非を問う住民投票において、過半数が自然環境への影響や財政負担などを理由に拒否したため、デンバーは経費を確保できずに開催を返上することになったのです。これは、環境問題が理由でオリンピックが予定地で開催できなかった初の事例となりました。
1980年代以降、抗議運動が激しくなるにつれ、開催地組織委員会が、徐々に国際的な環境保護に関する動向に沿った対応をとるようになっていきました。例えば1988年、カナダのカルガリーで開催された冬季大会では、環境保護団体から環境に配慮した開発計画の再検討を求められ、開催地組織委員会はその指摘を参考に、競技場や関連施設を建設しています。
1990年代になると、IOCが環境保護にも目を向けるようになりました。オリンピズムの根本原則、規則、付属細則を成文化した「オリンピック憲章」の1991年版には、初めて環境問題に対して責任を持って取り組むことが明記されました。その後、IOCの方針としては、「スポーツ」と「文化」と「環境」をオリンピック・ムーブメントの3本の柱と宣言し、重要なテーマとして取り組むようになりました。
IOCの環境への姿勢転換を体現した大会として代表的なのが、1994年のノルウェーにおけるリレハンメルで開催された冬季大会(以下、リレハンメル1994冬季大会)です。IOCおよび開催地組織委員会は環境保護団体やノルウェー政府と議論を行い、後利用や景観保護を意識した競技場建設を行うことになりました。この大会は「グリーンゲーム」と呼ばれるほど、高い評価を得た大会として位置づけられています。
こうしてIOCは、世界のスポーツ界を先導する形で国際機関と連携を深めながら、少しずつ姿勢を変え、環境問題の解決に向けて主体的に取り組むようになっていきました。
近年のオリンピック・ムーブメントにおける持続可能性の確保に向けた取り組み
近年のIOCは、持続可能性の確保に向けた取り組みのなかでも、特に気候変動対策に力を入れています。2014年に公表した中長期計画「オリンピック・アジェンダ2020(Olympic Agenda 2020)」には、CO2排出量低減のために既存の施設や仮設施設の使用を推奨する内容や、競技種目を他の都市や他の国で開催することを認めることが示されました。
また2016年に公表されたIOC持続可能性戦略(IOC Sustainability Strategy)では、「インフラと自然環境(Infrastructure and natural site)」、「調達と資源管理(Sourcing and resource management)」、「モビリティ(Mobility)」、「ワークフォース(Workforce)」及び「気候(Climate)」の5つの重点項目を設定し、国際競技連盟(International Federations:IF/以下、IF)や国内オリンピック委員会(National Olympic Committee:NOC/以下、NOC)をはじめ、選手やクラブ、パートナー(スポンサー)などのあらゆるステークホルダーを巻き込み、スポーツ界において主導的な役割を果たそうとしています。
さらにここでは、優れたガバナンスは持続可能性を確保するための前提条件であり、ガバナンスを確保することで持続可能性の確保するための課題を理解でき、その解決に取り組むことが可能な組織を構築できると明示されています。IOCは、組織におけるガバナンス確保の観点からも気候変動対策を中心とした持続可能性の確保に向けた取り組みを重要視しているといえます。
代表的な具体策としては、組織運営全般にかかるCO2排出量を算出の上で公開し、削減戦略を立てることが挙げられます。また事務局運営に関わる消費電力を100%再生可能エネルギー由来のものに変えることも代表的な取り組みです。その他、さまざまな取り組みを行った上で、どうしても削減できない部分については、カーボンオフセットにより実質ゼロにする取り組みが進められています。
また、トップアスリートが活躍できるアンバサダープログラムを設置し、アスリートとの連携を深めています。これまでにIOCが支援したアンバサダーは、スポーツにおける使い捨てプラスチックの排除を掲げるキャンペーンの立ち上げや、国際機関におけるアンバサダーへの就任など、徐々に活動の場を広げています。
2018年には、2015年のパリ協定(※)を受け、IOCといくつかのIF、国連気候変動枠組条約(United Nations Framework Convention on Climate Change:UNFCCC)事務局との連携により、「スポーツを通じた気候行動枠組み(Sports for Climate Action Framework)」が立ち上がりました。日本でも日本オリンピック委員会(Japanese Olympic Committee:JOC)やいくつかのスポーツ関係団体が署名し、スポーツ界全体でCO2排出量を削減する取り組みが進みつつあります。
※パリ協定:2015年12月、フランス・パリで開かれた第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)で採択された、2020年以降の地球温暖化対策を定めた国際的な枠組み。歴史上初めて、加盟する196ヶ国全てが削減目標・行動をもって参加することをルール化した公平な合意。
2021年には、「オリンピック・アジェンダ2020」の進捗状況や最新の国際社会の情勢を踏まえた「オリンピック・アジェンダ2020+5(Olympic Agenda 2020+5)」を発表し、パリ協定に沿ってCO2排出量を30%削減すること、マリとセネガルの約90の村に約59万本の植林を行う「オリンピックの森(Olympic Forest)」により約20万t-CO2を吸収すること、「スポーツを通じた気候行動枠組み」を通じたIFやNOCにおけるカーボン・ニュートラルへの移行を支援することなどを提示しています。
2024 年以降においては,化石燃料の使用を徐々に廃止することや,低炭素商品・サービスの利用割合を増加させることなどにより、2030年までに直接的かつ間接的なCO2排出量を50%削減するとともに、「オリンピックの森」において2,120haの土地に植樹することなどによりクライメート・ポジティブを実現することを掲げています。
なお、「オリンピック・アジェンダ2020」が初めて適用されるのはパリ2024大会ですが、2021年に開催された東京2020大会でも、すでに持続可能性の確保に向けた取り組みが数多く行われました。その中でも大会期間中のすべての電力を100%再生可能エネルギー由来のもので供給したことや、調達物品の99%以上のリユースあるいはリサイクルを達成したこと、削減できなかったCO2排出量約196万t-CO2に対し、それをはるかに上回る438万t-CO2のカーボンオフセットを行ったことなど、気候変動対策については環境保護団体にも評価されています。ただし、建築材料などの調達面における人権配慮については課題が残るといわれています。
パリ2024大会の注目すべき取り組み
パリ2024大会では、過去のオリンピック大会と比べても様々な取り組みが行われ、今後の大会における気候変動対策や生物多様性の損失に対する取り組みの指標となることが期待されています。
パリ協定に沿った大会にするために、2012年ロンドン大会と2016年リオデジャネイロ大会の平均値と比較してCO2排出量(Scope1,2,3)を55%削減する目標が掲げられています。
大会期間中の電力は再生可能エネルギー由来のものを100%使用し、軽油を原料として発電するディーゼル発電機が必要なシーンでは、バイオ燃料や燃料電池などの再生可能エネルギーのバッテリーを使用します。またケータリングで使用される容器などの使い捨てプラスチックを半減し、ケータリングで使われた厨房設備などは大会終了後に100%再利用できるようにします。
会場の95%は既存の施設や仮設施設を使います。パリ市内で唯一新設される「アディダスアリーナ」は、客席がすべてリサイクルされたプラスチックで製造されます。またパリ2024大会が生物多様性に与える影響を分析・削減するための独自の手法が開発され、仮設会場の設計に反映されています。
パリ2024大会で消費される食材の80%を地元の農家から調達し、そのうち25%は各会場から250km以内で生産されたものを調達します。食材の廃棄を削減するため、食材の量を正確に把握し、消費しきれなかった食材を再分配、堆肥化、または再利用する予定です。
訪れる観客に公共交通機関を最大限に活用してもらうために、大会期間中は地下鉄やバスの本数を増やしたり、自転車専用道路をつくり、自転車での移動を推奨する、といった取り組みも行う予定です。
また主にIOCのパートナー企業が大会を支援しますが、持続可能性の確保に向けた取り組みにも貢献しています。例えば、日本の企業ではトヨタ自動車が電気自動車やハイブリッド自動車、燃料電池自動車等をアスリートや関係者用の車両として提供。パナソニックは競技演出用高輝度プロジェクターやディスプレイ、システムカメラなどを提供しますが、消費電力を抑えた環境配慮の機材を選ぶなどしています。
こうした最新の技術を駆使した取り組みが多数進められる中、私が最も大事ととらえているのが、パリ2024大会では招致の段階から世界自然保護基金(World Wide Fund for Nature:WWF/以下、WWF)と戦略的パートナーシップを締結し、環境や生態系に良い影響をもたらすよう、環境への取り組みを強化している点です。
歴代オリンピック大会の環境問題への対応を俯瞰しても、ステークホルダーとの連携強化が特に大事だと考えます。スポーツを推進したい側と環境保護を進めたい側とが意見交換し、どのように進めていけばよいかを話し合っていくことが重要です。
今後の世界のスポーツ界のあるべき姿 ~ステークホルダーとの連携強化が重要~
現在IOCは、国際機関との連携を深め、持続可能性の確保に向けたさまざまな取り組みや啓発を行うようになっており、組織のガバナンスの確保の観点からも重要視していることから、今後の取り組みの発展が大いに期待できます。一方で、ステークホルダーとの連携については、さらに推し進めるべきと考えます。パリ2024大会やIOCの過去の取り組みを踏まえ、今後のスポーツ界のあるべき姿を考えたときに、意思決定の際には関係各者と十分に話し合い、合意形成を図ることが特に重要だと認識しています。
恵庭岳の教訓があった札幌1972冬季大会、IOCの環境への姿勢転換を体現したリレハンメル1994冬季大会。そして、今回のパリ2024大会におけるWWFとの戦略的パートナーシップは、スポーツ界に対して、「どうしたらスポーツが社会に受け入れてもらえるか?」という課題解決に役立つ、大きな示唆を与えていると思います。
またスポーツ大会の環境問題に限らず、さまざまな社会課題の解決においてもステークホルダーとの連携強化は、重要な視点になるのではと考えています。組織において意思決定を行う際に、異なる人々の意見や立場を尊重して、どうすり合わせていくかという視点を持つことが、目先の課題解決はもちろんのこと、持続可能性の確保を考える上でも大事といえるのではないでしょうか。
編集後記
近年、オリンピック競技大会で行われている持続可能な取り組みは、消費者の立場としては具体的な対策や成果に目が行きがちですが、先生のお話を伺い、いかに異なる立場の人々や団体の意見を取り入れる議論の場を設けているか、その姿勢にも目を向けるべきと、気付きをいただきました。これからオリンピックを見る際には、スポーツを楽しむのと同時に、目に見えないところで行われているCO2削減や人権保護の取り組み、環境保護団体との戦略的パートナーシップといった取り組みにも注目していきたいです。
- ライター石原亜香利
多様なメディアでトレンドやビジネスパーソンに役立つテーマで執筆。特に専門家への取材記事を得意とする。BtoBビジネス向けの企業と顧客のコミュニケーションをつなぐライティングも行う。「読み手にわかりやすく伝える」ことがモットー。