製造業の労働現場における熱中症リスクと対応策
- 産業医科大学 産業生態科学研究所 産業保健管理学教授堀江 正知氏(ほりえ せいち)
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昭和61年、産業医科大学医学部卒業。平成3~5年、カリフォルニア大学サンフランシスコ校レジデント。平成5年、カリフォルニア大学公衆衛生学大学院修士(MPH)。日本鋼管(現、JFEスチール)株式会社専属産業医、京浜保健センター長を経て、平成15年から産業医科大学 産業生態科学研究所 産業保健管理学研究室 教授。平成22~28年、同大学産業生態科学研究所 所長、平成28年~令和4年、同大学ストレス関連疾患予防センター長。令和2年~現在、同大学副学長(併任)。労働衛生コンサルタント(保健衛生)。博士(医学)。日本産業衛生学会専門医・指導医。
目次
日本の現状
近年、日本において重症の熱中症を発症する事例が増えています。厚生労働省の人口動態統計によれば、熱中症が原因で亡くなった方の人数が1990年代半ばから増加の傾向が見られています。そして大きな境目となったのは、熱中症死亡者が1,731人となった2010年です。それ以降、高い水準が継続しており、2018年、2020年、2023年と1,500名を超える死亡者数が確認されています。
日本は科学技術や社会保障の先進国であり、空調設備はもちろん、医療や救急体制も整っている中で、多くの国民が暑さのために亡くなるというのは大きな社会課題であると考えています。
熱中症が重症化する最大の要因は年齢であり、高齢であるほど重症化のリスクが高まります。また全体の男女比はおよそ男性2:女性1で男性のほうが高い割合です。一方で、職場で起きる熱中症に限定すると、10代後半から60代が多い状況となっており、特に高齢という特徴はありません。ただし、男性のほうが屋外で熱中症リスクの高い作業に従事しているケースが多いためからか、男性10:女性1の割合で圧倒的に男性が多い状況です。
業種別にみると、熱中症の重症事例が最も多いのは建設業です。屋外作業など太陽光の影響を受ける環境を自分では調整できないのが要因と考えられます。製造業は熱源の存在や風通しの悪い環境から熱中症を起こしやすい業種です。
また、警備業(特に道路交通誘導をしている人)や農業従事者に多発している傾向もあります。
熱中症のかかりやすさの参考となる環境指標「WBGT(Wet Bulb Globe Temperature)」は1954年にアメリカで作られた指標ですが、日本では行政を中心にいち早く取り入れ、世界的に見ても活用が進んでいます。
WBGT(湿球黒球温度)は温熱環境に関する「気温、湿度、輻射熱(光によって届く熱)、風速」の4つの指標を総合したもので、この値によって熱中症のかかりやすさが分かります。環境省では暑さ指数と呼んでいます。
(写真提供:産業医科大学 堀江教授)
ただし、WBGTがまったく同じ値であっても、8~9月よりも5~7月のほうが、熱中症になりやすいことがわかっています。これは体が暑さに慣れているかどうか、つまり上手に汗をかいて体温を下げられるかが関係しています。
特に毎年、梅雨明け直後など夏に向けて気温が急に上昇してくる最初の数日間は、まだ暑さに慣れていない人が多いことから、職場での熱中症が多く確認されています。
職場における熱中症の主な原因
職場における熱中症の発症原因は、大きく4つに分けられます。
1. 作業環境が高温多湿、風速が低く輻射熱が高い
いわゆるWBGTの値が高く、熱中症リスクの高い環境です。
2. 職場で筋肉を多く使う
筋肉を動かす際に熱が生じます。そのため筋肉を激しく動かす作業であるほど体温が上昇しやすく、熱中症が発生しやすいと言えます。
3. 透湿性や通気性が低い作業服を着用している
職場の服装は、安全上の理由などから夏場に適したものではないことが多くあります。そのため、着込んでいたり、ヘルメットをかぶっていたりして、透湿性や通気性が低い作業服を着用していて汗が乾きづらい状態となっている場合があります。
4. 作業時間が長い
1日8時間の労働が基本となっている上に約2時間の連続作業が多く、涼しいところでの休憩時間が短いことで、十分なクールダウンの時間をとれていないといったケースが多く見られます。
これらの4つの要因が、悪い方向に重ね合わさると熱中症にかかりやすくなります。
熱中症が発生する地球環境と労働現場の課題
近年、熱中症が発生しやすくなっている要因としては、地球全体の温暖化の進行も大きく影響していると言えます。
1900年以前は大気中の二酸化炭素(温室効果ガス)濃度は300ppm(※)を下回っていましたが、2010年代には400ppmを超え、現在420ppm程度となっています。
※ppm:大気中の分子100万個中にある対象物質の個数を表す単位
産業革命以降の工業化で化石燃料が大量消費によって温室効果ガスの濃度が高まったことが、地球温暖化の要因と考えられています。1998年、日本は地球温暖化対策推進法を制定して温室効果ガスの排出削減に取り組んできましたが、温暖化の進行を止めることは難しく、今後、世界各地で経験したことのない高温をはじめとする異常な気象現象が生じる可能性が高まっています。
そこで、2018年、日本は気候変動適応法という法律を制定しました。これは高温化が進んでしまう社会に適応していくための対策を推進する法律です。2023年に改正され、WBGTの予測値が33度以上の地点がある都道府県に出されている「熱中症警戒情報(熱中症警戒アラート)」に加えて、WBGTが広域に35度以上になると予想されたときに「熱中症特別警戒情報(熱中症特別警戒アラート)」が発表されることになりました。何も対策をしない場合、人の生存が難しい暑さで、日本では今までどの都道府県でも到達したことがない値ですが、徐々に迫っていると感じます。熱中症特別警戒アラートが発報された場合は、災害級の暑さとなり、多くの人が熱中症で亡くなる可能性が高まります。
このような状況になれば、職場環境がより厳しいものになることは容易に想像がつきます。
例えば、建設現場、製造業、警備業、農業などでは高齢化も進んでおり、体を使う作業に携わることの危険性はさらに高くなると考えられます。
近年の熱中症対策の研究 〜深部体温の測定~
私は15年ほど高炉のある製鉄事業場で産業医をしていましたが、炉の周囲職場ではどうしても熱中症が発生してしまいます。現場を冷やすことが困難な作業場において、現実的な対策を探しながら、熱中症を予防するための研究を行っています。
まず、重症の熱中症は体の深部の温度(核心温)が上がりすぎることで発症することから、核心温を正しく把握する方法が重要と考えています。よく行われている方法は核心温の上昇と共に増加する心拍数をモニターする方法ですが、心拍数は他の要因でもすぐ変化することから、あまり正確とは言えず、誤った警報が多くなる場合があります。熱流補償式という方法や赤外線を利用して正しく測る体温計もありますが、測定する手技や測定部位の状態によって誤差が大きくなり、連続測定には向かないという課題があります。
最も正しい核心温は、直接、体の深部に温度センサーを入れて測定する直腸温です。これを実際に働いている人に行うのは非現実的です。
そこで、私は、外耳道を塞いで、その中の温度を正確に測る方法であれば、現場でも利用しやすく有用と考えています。
(写真提供:産業医科大学 堀江教授)
近年の熱中症防止の2つの研究
そして、熱中症を予防するために現場で利用可能な方法を研究しています。
一つは、環境そのものを涼しくするための施策です。
例えば、建築現場などで、ビルの窓から日差しが入ってきて蒸し風呂のような状態になる場所に、遮光カーテンなどを設置することで温度を少し下げることができます。
製造業の工場の外側と内側の温度を長期間測定した研究からは、夕方以降になると天井や側壁が温まって、その熱が建物内に放射されるようになり、工場の外側より内側のほうが高温になることがわかりました。このような場所でも遮光カーテンや断熱剤等の設置が有効です。
一方で、労働者自身の対策についての研究も行っています。最近では作業着に電動ファンを取り付けている製品がありますが、気温40度の環境下でも体表面が発汗していれば直腸温や食道温が下がることを実験で確認しました。人は汗をかくことで、汗が蒸発する際に皮膚から熱を奪って体温を下げる仕組みとなっていますので、たとえ皮膚の表面より少し高温であっても、風を送ることで、体温が下がりやすくなるのです。
(写真提供:産業医科大学 堀江教授)
さらに暑い場所での作業時には、水を約10度に冷やすチラーという装置を用いて、冷水をパイプに流し、体の表面に当てる保護具が役立ちます。実験したところ、室温40度の場所で多少の体活動をしても体温の上昇を抑制できました。これも現場で実際に活用できると考えています。
現場のマネジメント層へのメッセージ
建設業や製造業などの熱中症リスクの高い現場においては、管理監督者による適切な工程管理が必要です。
環境省熱中症予防情報サイトは2日後までのWBGTの予測値を発表していますので、その値に基づいて、「暑さ」を考慮した工程管理を行うことを夏場の常識にしてほしいと考えています。特に、建設現場では1時間に1回の休憩時間を確保して、体温の正常化を図るなどして、休憩回数や時間をいつもの2倍にするなどの工夫があると良いと思います。
(写真提供:産業医科大学 堀江教授)
それから、前日にお酒を飲みすぎた人、朝食を食べずに来た人は熱中症リスクが高くなります。それぞれの現場において正直に申告できる雰囲気を醸成して、しっかり食事を摂ってから現場に出るといった適切な指導を行うことも重要です。
職場における熱中症の予防は、暑い環境で作業するように指示命令を出した会社側に責任があることを認識して、対策を整備する姿勢が必要と考えます。例えば、スポーツドリンクなどの冷えた飲み物や塩飴などを、従業員に持参させるのではなく、会社が用意する、といったことです。
暑いところで働くよう指示をして熱中症になれば、間違いなく労働災害となりますが、実際には熱中症が発生する前に、暑い場所では作業効率が落ち、ミスも生じやすくなりますので、このようなリスクを防ぐためにも、管理監督者が、熱中症予防に関する知識を学修し、積極的に対策を講じることが重要です。
職場で熱中症対策の担当者になった方が、すぐに検討できる方法や教育資料などを平易にまとめた「働く人の今すぐ使える熱中症ガイド」がありますので、ぜひ参考にしてください。
厚生労働省「働く人の今すぐ使える熱中症ガイド」
https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001098903.pdf
熱中症は無知と無理から生じます。必ず防ぐことができる疾病です。現場の特性に合わせて実行できる対策を考えて、多くの予防策に取り組んでいただきたいと思います。
編集後記
日々、暑さを感じる中、建設業や製造業などの労働現場における過酷さは想像にたやすいことです。熱中症重症者を確実に減らすためにも、早急に対応せねばならないと改めて実感しました。もはや地球温暖化は止められず、対応策のアップデートが求められることもわかりました。広く熱中症や対策の知識が周知され、適応していくことが重要であると痛感しました。
- ライター石原亜香利
多様なメディアでトレンドやビジネスパーソンに役立つテーマで執筆。特に専門家への取材記事を得意とする。BtoBビジネス向けの企業と顧客のコミュニケーションをつなぐライティングも行う。「読み手にわかりやすく伝える」ことがモットー。