「伊勢根付」の魅力を職人自らが発信
伝統工芸の持続可能性とは
- 伊勢根付職人梶浦 明日香氏(かじうら あすか)
元NHK名古屋放送局・津放送局キャスター、東海女性職人グループ『凛九』代表。NHK時代に『東海の技』というコーナーを担当し、様々な職人を取材。伝統工芸の素晴らしさやそこに込められた思いに感銘を受けるとともに、このままでは多くの伝統工芸が後継者不足のため失われてしまうと危機感を感じ職人の世界へ。2010年に取材を通じて出会った中川忠峰氏に弟子入りし、根付職人となる。
目次
「伝え手としての使命感」で伊勢根付職人の道へ
大学在学中から始めたアナウンサーとしての経験から、卒業後はNHKの名古屋放送局に入り数年アナウンサーの仕事をし、その後伊勢根付の職人になりました。現在はお客様からのご依頼を受け、根付を彫っています。根付とは、着物の帯に印籠や巾着などを提げるための木彫りの道具として江戸時代に栄えたものです。伊勢根付は江戸時代に伊勢神宮の「お伊勢参り」の土産物の一つとして作られてきた歴史ある伝統工芸です。現代では縁起物として財布やカバン、携帯電話のストラップとして付ける方も多いです。
伊勢根付職人になろうと決意したのは、アナウンサー時代、ものづくりの職人を紹介するコーナーを担当したときでした。取材で出会ったほぼすべての職人に後継者がいない現実を知り、このままでは間違いなく伝統工芸が廃れていくと感じました。アナウンサーとして、「ぜひ伝統工芸の価値を、皆さんも発信してください」と話しても、「大切なことだとは思うが、自分はそういうことは苦手だから、誰かやってくれる人いないかな」という声が多くありました。「全員がそのように思っていたら何も変わらない」と考えたとき、「そうか、その役目は私だったのか」と使命感を感じ、自ら職人になることを決意しました。第三者がどんなに素敵だと言ったとしても、所詮、他人事と思われてしまいます。やはり当事者の言葉にかなうものはないはずと強く思いました。
私は根付そのものにも惹かれました。細かい彫刻の美しさとそこに込められた精神性、さらに「使う人と作る人の知恵比べ」のようなところが、とても面白い工芸品であると感じました。根付は「浮世絵・刀・漆」と並ぶ日本の四大伝統工芸の一つとして、海外の大英博物館やボストン美術館に展示されています。イギリスの2010年のブックオブザイヤーに選ばれたのは、根付をモチーフとしたノンフィクションの本でした。それくらい海外ではよく知られている根付が、日本ではほとんど知られていないので、もっと多くの人に知ってもらうチャンスがあると思いました。
そして師匠が人間として尊敬できる人であったことも根付職人の道を選んだ理由です。近所の人々などが助け合う暮らし方を目の当たりにし、まさに私に足りていないことであると実感しました。今後、この人についていったら、自分の幸せを見つけられると思いました。
伊勢根付の特長と魅力
伊勢根付は、お伊勢参りのお土産として栄えたため、縁起が良いものや、人々の幸せを願う題材が多いのが特長です。さらに伊勢神宮の裏にある朝熊山(あさまやま)の黄楊(つげ)の木を用いるのが昔からのならわしです。
一番の魅力は、先に述べた「作る人と使う人の知恵比べ」のようなところです。例えば、栗の中にねずみを彫った作品のタイトルに「リス」と付けました。なぜだと思いますでしょうか。リスは漢字で書くと「栗鼠」、「くりねずみ」と書くのです。タイトルに込められた思いに気づいたときに面白味がありますし、そこから会話が弾んでいくこともあります。
その他、落語の話を知っていたら分かる作品、ちょっとした言葉遊びやことわざ、駄洒落などを交えた作品もあり、面白い題材がいくつもあります。
根付はよく使い込んであめ色になった状態を「なれ」と呼び、価値が増すといわれます。現代日本では必ずしもそのような考えばかりではありませんが、戦前までは「一つのものを大切に使い続けることで、自分ならではの味わいが出て、価値が増す」という考え方をしていました。その後、大量生産・大量消費の文化が欧米から入り、古いものには価値がないという考えも普及するようになります。根付をはじめとした伝統工芸全般に根付く、「ものを大切に使い続けることで価値が増す」という精神性はとても救われる考え方だと思いました。
外国の方は、根付に込められているストーリーに惹かれているようです。どのような道をたどって、今ここに伝わってきているのかは「なれ」の状態を見ればわかります。そこにある歴史の重みに価値を見出しているのだと思います。
日本の伝統工芸を守るために
東海女性職人グループ「凛九(リンク)」
伊勢根付をはじめとした日本の伝統工芸を守るために、日々活動しています。貴重な黄楊の木は、いつか採れなくなる日が来るかもしれませんが、材質が変わったとしても伊勢根付の精神性や思いは受け継いで後世に残していきたいと考えています。
現在、伊勢根付職人の師匠クラスの方は3名いらっしゃいます。お一人が私の師匠、お二人は高齢ですでに制作からは離れています。私の師匠の弟子と呼べる方は50名ほどで、伝統工芸の職人としての仕事だけで生活している人は私くらいかもしれません。女性職人となると「師匠と弟子」といったような今までと同じやり方で継承するのは難しいと思っていますが、教室を開いて講座を開催するなど、技術や精神性を伝えられる形を模索しています。
伊勢根付をはじめ、日本の職人や伝統工芸を多くの方々に「素敵だね」と思っていただくために、若手の女性職人たちで東海女性職人グループ「凛九(リンク)」を結成し、SNSやブログ等で発信し、随時、共同での展示会を実施しています。メンバーは尾張七宝や伊勢型紙、漆芸、伊勢一刀彫、有松鳴海絞、美濃和紙などさまざまな伝統工芸の女性職人たちです。師匠の方々がこれまでにされなかったことに取り組み、女性職人だからこそできる面白さを出していきたいと考えています。
伝統工芸というと、高齢の男性たちが取り組んでいるイメージが強く、閉鎖的でストイックな姿が魅力としても伝えられています。昔から伝統工芸の職人たちは作ったものを「すごいでしょう」と自慢するのは「野暮」という考え方をしていたこともあり、なかなか魅力が広まっていかなかった節もあります。
だからこそ私たちは伝統工芸が本当に魅力的であり、受け継ぐことに誇りを感じていて、一生懸命取り組むことに喜びを感じている姿を明るく伝えたいと思っています。いまは師匠たちが中心を守ってくれているので、私たちは時代に合わせた新しい挑戦ができると思っています。もちろん、中心になったときには「芯」を守らないといけませんが、今は明るく元気に楽しく伝えるということを大切にしています。
発信対象は、まず一般の方々です。「伝統工芸って面白いかもしれない」と思ってもらうことが、何より大事だと考えています。「日本の文化にこのようなものがあるんだ、このようなところをすごく大事にしているのか」と思ってもらえたら、それがきっかけになって結果的には私たちが行っている伝統工芸だけに限らず、その他の伝統工芸にも興味を持ってもらえると思うからです。
伊勢根付の持続可能性
伊勢根付に限らず、伝統工芸というものは、日本の気候風土の中で育まれてきたもので、他の国にはなく、日本独自の進化を遂げたものが数多くあります。それらは日本の大切な財産であり、確実に守っていきたいと思っていますが、本当になくならないのかと言われたら、皆さん「わからない」としか答えられないでしょう。そのため、今、できることを精一杯やっていこうと思っています。伝統工芸の魅力や個性を発信して、多くの方々に「残したい」と思ってもらうにはどうしたら良いかを、日々考えている状況です。
私たちの活動とSDGsとの関係性を考えると、17個の目標すべてにあてはまると考えています。特に「一つのものを大切に使い続ける」という価値観、つまり愛着を持って「これは私にとってかけがえのないもの」という考え方は、未来の地球にとって大事な考え方だと思っています。
しかしながら、職人も生身の人間であり、生活があります。ライフスタイルなど、時代に合わせて変わっていかなければ、伝統工芸は続いていかないと思っています。伝統としての価値をきちんと見据えた上で、大切に守るべきものは守っていきたいと考えています。特に、ものを永く大切にするという精神性を、さまざまな方面へ反映していけるような形を模索しています。
編集後記
伝統工芸を守り、後世に残していく活動というと、職人たちの厳格な部分を守り続けるイメージがありましたが、今回のお話を聞いて、現実的に後世に残していくためには、師匠-弟子の形式や作品の素材などについては、時代に合わせて柔軟にとらえることが重要なのだと気づかされました。一方で、精神性や真髄は時代を超えて残すことができるものです。梶浦さんの発信活動がより多くの人々の心に響き、日本が誇れるものが残されていくことを期待しています。
- ライター石原亜香利
多様なメディアでトレンドやビジネスパーソンに役立つテーマで執筆。特に専門家への取材記事を得意とする。BtoBビジネス向けの企業と顧客のコミュニケーションをつなぐライティングも行う。「読み手にわかりやすく伝える」ことがモットー。